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御蔭祭

若冲展の帰り、出町柳まで戻って鴨川のほとりで一休み。
そしたらふと思い出したのが下鴨神社。
行った事がなかったので、行ってみました。

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どこまで続くやも知れぬこの緑の参道を楽しみながら、歩いていくと側方になにやら装束に身を包んだ集団が・・・、更に進むと今度はギャラリーが・・・。
ギャラリーに紛れて待っていた僕は偶然ながら御蔭祭に立ち会う事が出来ました。
ただ寄っただけだったのに、神事に立ち会えるなんてコレも若冲のご加護でしょうか(笑)

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比叡山山麓の八瀬御蔭山より神霊を本社へ迎える神事。 明治初年の神社祭祀法制化以前の年中行事を旧祭式、以降を新祭式と称して区別している。 現在の御蔭祭(みかげまつり)は、旧祭式のころは御生神事(みあれしんじ)と呼ばれていたが、新祭式となって、神事斎行の場所が東山三十六峰の二番目の山、洛北上高野の御蔭山の麓であったことからその名となった。 旧祭式時代の御生神事は、旧暦四月の午の日。早朝より禮殿(らいでん)における解除(げじょう)の樹下神事(じゅげしんじ)から始まる。本宮を進発するときの歓盃(かんぱい)の儀。そうして神領内行粧を整える檜垣(ひがき)。御蔭山の山麓の禁足地へ行粧が到着すると、高野川に面した船繋ぎ岩(磐座(いわくら))において御生神事が行われる。御蔭山の麓を風俗歌を奏しながら巡る神おろしの神事。その後、神領内総社神前での路次祭(ろじさい)。糺の森に達してから芝挿神事(しばさしのしんじ)。切芝神事(きりしばのしんじ)。御生ひきと称して御綱を正官がひく、本宮の儀の全てを総称して、御生神事と呼ばれてきた。 古代から、鴨氏が伝えてきた思想信仰を基とする祭祀と氏祖神の祭を御蔭祭と呼ぶようになり、氏子の祭へと変貌した。また、上知令後、神領内の各総社が独立したため諸神事が略されたことなど、大きな変革がもたらされた。しかし、古代から森林を祭祀場とする切芝神事は、御生された御神霊を神馬の背に移御し、御神前で御祭神のご来歴、風俗歌三代詠(さんだいえ)を奏上するのと、忌子(童形)御杖を奉持、先導する本宮の儀は、今は葵祭にさきがけて五月十二日に行われている。 この祭は我が国最古の神幸列として、毎年神馬に神霊を遷し本社に迎える古代の信仰形態を今に伝える祭として有名である。また、御蔭祭の日の午後四時頃、本社に於て切芝遷立の儀の時の舞を「東游(あづまあそび)」という。(下鴨神社ホームページより)

神馬の歩みに従って、ギャラリーが移動していくある意味滑稽でしたが、自分もその中のひとりでした。
境内の中に入ると、僕は神馬そっちのけで建物を観てました。
こんな所はやっぱり建築バカ。


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今日は葵祭という事で、規模もより大きくなる様なのですし、行きたいけど・・・我慢。

「葵祭」と一般に呼ばれるが、正式には「賀茂祭」と称し、八坂神社の祇園祭、平安神宮の時代祭とならんで、京の三大祭りといわれ、石清水八幡宮の石清水祭、奈良春日神社の春日祭とともに、日本の三大勅祭といわれている。この葵祭の起源については、欽明天皇の御世に、風水害がはげしく五穀が実らなかったため、飢餓疫病が蔓延し、京中が騒然となったので、その原因を占わせたところ鴨の神の崇であるということになり、天皇が使を遣わされ祭を行われたのが始まりである。(下鴨神社ホームページより)
by revolvergdsd | 2007-05-15 00:49 | TRAVEL

5年ぶりに戻ってきたけど・・・今度こそ続くのか?


by revolvergdsd